ぶらり見て歩き散策を楽しむ
モデルコースとして設定している高取町の観光コースをご案内します。
高取町には、古代から近代まで、様々なストーリーがあります。
なかでも、近鉄吉野線壺阪山駅から、高取城・壷阪寺をめぐるコースは、王道中の王道コースです。
高取城跡コース
日本屈指の山城「高取城」は、日本一の比高(麓から天守台までの高低差)390mを誇ります。明治時代に解体されたため現在は石垣しか残っておりませんが、それが古代へのロマンをかきたてます。司馬遼太郎「街道を行く」でも、次のように謳われています。「高取城は、石垣しか残っていないのが、かえって蒼古していていい。その石垣も、数が多く、種類も多いのである。登るに従って、横あいから石塁があらわれ、さらに登れば正面に大石塁があらわれるといったぐわいで、まことに重畳としている。それが、自然林に化した森の中に苔むしつつ遺っているさまは、最初にここにきたとき、大げさにいえば、最初にアンコール・ワットに入った人の気持ちがすこしわかるような一種のそらおそろしさを感じた」と・・・
古代の高取町散策コース
古代の高取町は、渡来系氏族の「東漢氏」と「巨勢氏」の2大豪族が割拠していました。そして、彼らの先進技術で飛鳥を開拓し、飛鳥朝廷を樹立する原動力となりました。後に、中大兄皇子の命により巨勢徳陀が東漢氏を説得し、中大兄皇子を東漢氏が後ろ盾し、645年の大化の改新は成就するのです。
中世の高取町散策コース
中世の高取町は、大和武士の一方の雄「越智氏」が、大和郡山市を本拠地とする「筒井氏」と大和国の覇権争奪戦を繰り広げます。日本屈指の山城「高取城」は、越智氏の山城としてこの頃建設されます。また、中世を代表する文化である能楽「越智観世」と謡曲「田村」が大いに流行ります。
土佐街なみ散策コース
土佐街は高取藩二万五千石の城下町として発達しました。かって武士や町人らが行き交わった土佐街道は、昔ながらの街並みが目に入ります。壷阪寺の参道は昔も今も参詣者が絶えません。正面に見えたであろう高取城に思いを馳せながら時代を映す道を散策します。
壷阪寺散策コース
清少納言も「枕草子」の中で「寺は壷阪 笠置 法輪」と、一番に名をあげ、賞賛しています。お里・沢市の夫婦愛を描いた「壷阪霊験記」で有名な、眼病を治してくださる観音様で知られる古刹です。
阿波野青畝句碑めぐりコース
高取出身の昭和を代表する歌人「阿波野青畝」。彼の句碑と生家を巡る高取ならではのコースです。「葛城の山ふところに寝釈迦かな」この詩の雄大さを感じられる景色が、高取にはあります。
各史跡までの距離と所要時間
所要時間は、徒歩でゆっくり歩かれた場合の時間です。(20)の表記は所要時間20分です。