![古代の高取町散策コース](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/kodai-map.gif)
渡来系豪族が闊歩した古代高取
![壺阪山寺](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/tubosakaeki.jpg)
大正12年、当時の吉野鉄道が吉野口-橿原神宮前間を開通させた際に開業。
現在は近畿日本鉄道吉野線となっている。
![子島寺](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/kojima.jpg)
天平勝宝4年(752年)建立。町内では壺阪寺に次ぐ古刹である。現在の下子島を中心に、一時は21坊の伽藍を誇った。
子島曼荼羅の名で有名な国宝「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図」(奈良国立博物館保管)は平安初期のもので日本三大曼荼羅の一つである。
![人頭石](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/jintoishi.jpg)
光永寺の前庭にあります。
花崗岩の大石に人間の横顔が彫られている。
由来は諸説あるが不明である。
![森カシ谷遺跡](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/morikashitani.jpg)
7世紀後半に建てられたとみられ、古代幹線道路である紀路沿いの、飛鳥の内と外を分ける境界にあり、「飛鳥を守る砦」であるとみられています。
![紀路](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/kiji.jpg)
紀州街道・高野街道・巨勢谷・五条を経て高野・和歌山に通じる古代からの重要な路。
古代、渡来人もこの路を通ってこの地へ辿りついたのでしょう。
![岡宮天皇陵](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/okanomiya.jpg)
宮内庁は、草壁皇子の古墳として、ここを指定しているが、実際には束明神古墳が正解であるという説が、かなり有力である。
![束明神古墳](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/tukamyoujin.jpg)
草壁皇子の古墳として本命視されている。
日本でも超一級の石室の大きさを誇る古墳である。
復元した石室は、橿原考古学研究所付属博物館にある。
![市尾墓山古墳](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/hakayama.jpg)
6世紀初頭の古墳で巨勢氏の有力者が、葬られたという説が有力。
登ってみれば前方後円墳とはっきり体感できる古墳である。
![市尾宮塚古墳](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/miyaduka.jpg)
天満神社内の前方後円墳。
国史跡で横穴式石室が、見れるよう整備されている。
![斎明天皇陵](https://sightseeing2.takatori.info/wp-content/uploads/2021/03/saimei.jpg)
斎明天皇越智岡上陵は、高取町大字車木にある丘陵の山頂にあります。
大田皇女の弟で、8歳で亡くなった聾唖の建王と間人皇女も合葬されています。
各史跡への距離や所要時間はこちら