越智山光雲寺 山門

越智氏

大和郡山市を本拠地とした筒井氏と対立し、大和国の覇権争奪戦を繰り広げた中世の豪族。高取城の礎を築いたことでも知られ、中世の芸能を代表する能楽「越智観世」もまた、越智氏の庇護によって育まれた。その出自は諸説ある中、清和天皇を祖とする大和源氏であった説が有力。最も勢力が盛んだったのは室町時代の後半とされる。

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光雲寺 本堂

光雲寺

南北朝時代初期の貞和2(1346)年に興雲寺と称し、越智氏の菩提寺として建立されたのが始まり。その後、室町初期の文安3(1446)年に復興開基されて繁栄するも、天正年間に越智氏の没落で衰退。元禄11(1698)年に再興してからは寺号を光雲寺と改めた。本堂は県の重文に指定されており、山門前には樹齢1000年近い厄除け杉がそびえる。

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貝吹山城址

貝吹山(貝吹山城址)

橿原市との境目に位置し、標高は210.3m。山頂には麓の人々が雨乞いをした「牛頭(こず)天王の塚」と呼ばれる直径約3mの円墳があり、南北朝時代には越智氏の山城が塚の上に築かれた。山城は元々、越智居城の詰め城であったが、後に本城となって高取城を詰め城にするまで発展した。貝吹の名はホラ貝を吹き、敵襲を知らせたことに由来。

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