現在も旧藩主・植村家の住居として機能するこの屋敷は元々、旧高取藩の筆頭家老屋敷であった。建立は文政9(1826)年という、近代武家屋敷表門の遺構を残す貴重な建造物であることから、奈良県の重要文化財に指定されている。正面の丘には旧藩主下屋敷・御殿跡があったとされ、近くには田塩家など数軒の武家屋敷が現存する。
植村家長屋門は高取城の旧大手門通りに建つ。山上の高取城へ向かい、なだらかな坂道を進む先で目に飛び込む堅牢な石垣からは、かつての筆頭家老の威厳が伝わり、腰板張りに施された海鼠(なまこ)壁の意匠が城下町の風情を煽る。建物は間口39.1m、奥行き4m、むね高5mの規模を誇る一重入母屋瓦葺き造り。門内の東西にはそれぞれ4室の部屋が控え、江戸時代には高取藩に仕える使用人がそこで暮らしていた。手前に残る田塩家の武家屋敷もまた、建築から300年近くの時を経ても立派な長屋門の姿を留め、見どころも多い。長屋門には与力窓と呼ばれる、格子が横向きになった窓が2つ設けられ、門の奥に目をやると格子をはめた監視窓付きの塀が玄関脇に確認できる。このように表口を警戒するような構えは、全国的にも余り例の無い珍しい遺構とされている。その他にも、植村家長屋門にほど近い旧藩主下屋敷のあった総門跡では、朽ちかけた築地塀が今なお往時を偲ばせる。