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斉明天皇陵

斉明天皇陵

宮内庁が管理する斉明天皇とその娘・間人皇女の合葬陵。陵前には斉明天皇の孫娘にあたる大田皇女の墓も造られており、更には8歳で亡くなった皇孫の健王も自分の陵に埋葬するよう、斉明天皇が遺言を残したと伝わる。古代飛鳥で活躍した女性たちの痕跡を辿る「日本遺産」の中でも、家族愛に溢れた陵墓のひとつ。

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壺阪寺

壺阪寺・壺阪観音の通称で知られる、真言宗豊山派の寺院。正式には壺阪山平等王院南法華寺という。西国三十三所観音霊場の第六番札所として古くから信仰を集め、本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたか。寺宝の『南法花寺古老伝』によると創建は大宝3(703)年、元興寺の僧・弁基大徳が開基上人であった説が有力とされている。

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子嶋寺

壺阪寺に次ぐ古刹。創建については諸説あるが、寺伝では孝謙・桓武天皇の病を癒した報恩大徳により、天平勝宝4(752)年に開かれたとする。一時は21坊もの伽藍を誇り、大和国の観音霊場として信仰を集めた。山門は高取城二ノ門を移築したもの。子島曼荼羅の通称で知られる国宝「紺綾地金銀泥絵両界曼荼羅図」は、日本三大曼荼羅の一つ。

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越智山光雲寺 山門

越智氏

大和郡山市を本拠地とした筒井氏と対立し、大和国の覇権争奪戦を繰り広げた中世の豪族。高取城の礎を築いたことでも知られ、中世の芸能を代表する能楽「越智観世」もまた、越智氏の庇護によって育まれた。その出自は諸説ある中、清和天皇を祖とする大和源氏であった説が有力。最も勢力が盛んだったのは室町時代の後半とされる。

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光雲寺 本堂

光雲寺

南北朝時代初期の貞和2(1346)年に興雲寺と称し、越智氏の菩提寺として建立されたのが始まり。その後、室町初期の文安3(1446)年に復興開基されて繁栄するも、天正年間に越智氏の没落で衰退。元禄11(1698)年に再興してからは寺号を光雲寺と改めた。本堂は県の重文に指定されており、山門前には樹齢1000年近い厄除け杉がそびえる。

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