昭和を代表する高取町出身の俳人。大正13(1924)年に25歳と若くして、夏目漱石の『吾輩は猫である』などが連載された俳句雑誌『ホトトギス』の課題句選者となる。その後、山口誓子らと共に昭和の四S(しいエス)と呼ばれる作家の一人として、同誌の黄金時代を築いた。生家や長円寺の中庭といった町内随所に、5つの句碑が設けられている。
続きを読む最新情報
 
			
		貝吹山(貝吹山城址)
橿原市との境目に位置し、標高は210.3m。山頂には麓の人々が雨乞いをした「牛頭(こず)天王の塚」と呼ばれる直径約3mの円墳があり、南北朝時代には越智氏の山城が塚の上に築かれた。山城は元々、越智居城の詰め城であったが、後に本城となって高取城を詰め城にするまで発展した。貝吹の名はホラ貝を吹き、敵襲を知らせたことに由来。
続きを読む 
			 
			 
			