波多甕井神社

波多甕井神社

平安時代の法令集「延喜式」神名帳に記載がある、高取町で唯一の由緒ある式内大社(しきないたいしゃ)。『続日本記』などによると、神護景雲4(770)年には存在したとされる。下方の井戸谷にある、清水の湧き出る井戸が地元の水甕(みずがめ)として使われてきたため、甕井(みかい)神社と呼ばれる。文化庁が認定する高取町の「日本遺産」。

波多甕井(はたみかい)神社の祭神は甕速日命(みかはやひのみこと)とするが、『大和志』や棟札では天照大神を祀るとし、江戸時代の『高市郡神社誌』には天照大神社と称されている。『日本三代実録』によれば、天安3(859)年に従五位(じゅごい)上へと昇格したとあり、これは個人でいう貴族並みの位階であった。更には式内大社であったことから、往古の社地は広大で荘厳を極めたと推測される。神社の立つ羽内地区はかつて、豪族・波多氏の住む波多郷であったとされ、社名にも波多氏との関わりが濃く見られる。推古天皇の時代には、毎年5月5日に薬猟(くすりがり)なる壮大で華麗な宮廷行事が神社の周辺で行われていたと『日本書紀』に記されている。男性は鹿の若角をとり、女性は薬草を摘んだといい、薬の町・高取町のルーツとも捉えられるような内容であった。太師井戸と名の付く井戸谷の井戸からは今も清水が湧き出ており、地域住民の飲料水として使われている。

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