大和郡山市を本拠地とした筒井氏と対立し、大和国の覇権争奪戦を繰り広げた中世の豪族。高取城の礎を築いたことでも知られ、中世の芸能を代表する能楽「越智観世」もまた、越智氏の庇護によって育まれた。その出自は諸説ある中、清和天皇を祖とする大和源氏であった説が有力。最も勢力が盛んだったのは室町時代の後半とされる。
続きを読む越智氏
南北朝時代に南朝方についた越智氏。高取城の礎を築いたのも越智氏です。越智氏は、北朝に弾圧を加えられた世阿弥・観阿弥を保護した氏族としても知られている。越智氏の末裔は、今もこの高取町・御所市を中心としたエリアに住んでいる。
貝吹山(貝吹山城址)
橿原市との境目に位置し、標高は210.3m。山頂には麓の人々が雨乞いをした「牛頭(こず)天王の塚」と呼ばれる直径約3mの円墳があり、南北朝時代には越智氏の山城が塚の上に築かれた。山城は元々、越智居城の詰め城であったが、後に本城となって高取城を詰め城にするまで発展した。貝吹の名はホラ貝を吹き、敵襲を知らせたことに由来。
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