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くすりの歴史

健幸とくすりの町 高取町

日本一の山城と歴史と文化に育まれた「健幸とくすりのまち」、この高取町のくすりの歴史はふるく、飛鳥時代の西暦612年推古天皇が聖徳太子や伴を率いて、高取の羽田の山野にて薬狩りを行ったと伝えられています。

この地は、豊かな自然に恵まれ薬となる動植物類が、豊富であったようです。また当時、中国から医薬術や薬の効用を伝え聞くとともに、秘伝の処方との合薬により家伝薬がつくられ、修験者によって大和の薬が、全国に広められたのが、大和売薬の興りとなりました。

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植村家長屋門

植村家長屋門

現在も旧藩主・植村家の住居として機能するこの屋敷は元々、旧高取藩の筆頭家老屋敷であった。建立は文政9(1826)年という、近代武家屋敷表門の遺構を残す貴重な建造物であることから、奈良県の重要文化財に指定されている。正面の丘には旧藩主下屋敷・御殿跡があったとされ、近くには田塩家など数軒の武家屋敷が現存する。

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船倉弁天神社

船倉弁天神社

険しくも見晴らしがいい、弁天山の山頂近くに市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)を祀り、地元では「弁天さん」の名で親しまれる。創建年代は不詳ながら、江戸時代の建立と見られる、半壊した大神宮形石灯籠には「寛延二(1749)年十月、薩摩組十八ケ村」と刻まれていることから、崇敬の篤い神社であったことがうかがえる。天保の頃から明治維新までは、薩摩をはじめとする17村の郷社として広く信仰され、腰・下腹部の内臓が痛む病や歯痛に霊験あらたか。毎年4月の第1日曜には、地域と家内の安全や五穀豊穣を祈る「おんだ祭」が執り行われる。

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土佐街道

高取藩2万5千石の城下町として栄えた高取町のメインストリート。当時は500軒もの商家が軒を連ねたといい、今も低い軒先や連子窓といった古い家並みの随所に、往時の繁栄ぶりを偲ぶことができる。両脇に水路が流れる街道の石畳には、阪神淡路大震災の復旧工事で出た石が活用され、所々に埋め込まれた薬草タイルを見て歩くのも楽しい。

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人頭石

子嶋寺より徒歩すぐ。土佐街道の最北に佇む光永寺の前庭に置かれたこの石は、昭和53(1978)年の県下石像物調査で発見された。高さ1mほどある花崗岩に彫られた人間の横顔は、頭頂部が手水鉢のように窪み、大きな鼻と耳、突き出した顎が特徴的。そのような風貌から、飛鳥の宮殿へとやって来たペルシャ人の横顔を模したとする説が流布し、元禄15(1702)年に欽明天皇陵のほとりで掘り出された、吉備姫王墓に並ぶ4体の猿石と同じ飛鳥時代の石造物であると考えられている。文化庁が認定した、明日香村・橿原市・高取町の「日本遺産」を構成する貴重な文化財のひとつ。

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