壺阪寺・壺阪観音の通称で知られる、真言宗豊山派の寺院。正式には壺阪山平等王院南法華寺という。西国三十三所観音霊場の第六番札所として古くから信仰を集め、本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたか。寺宝の『南法花寺古老伝』によると創建は大宝3(703)年、元興寺の僧・弁基大徳が開基上人であった説が有力とされている。
創建については『帝王編年記』10巻、大宝3(703)年の条にも「造高市郡南法華寺」と記録がある他、現存する文化財の様式を見ても文武天皇が大宝律令を施行した時代と考えられる。国の重要文化財に指定されている三重塔の心礎、出土した古瓦などの状態はほぼ白鳳末期の様式である。承知14(847)年、朝廷に保護される定額寺の寺格を有してからは平安貴族も盛んに詣で、清少納言もまた『枕草子』で「寺は壷坂・笠置・法輪…」とその名を筆頭に挙げて称えた。目の観音様を本尊とする眼病封じの寺として、かつては元正・桓武・一条天皇も眼病平癒を祈願したと伝わり、まつわる霊験は平安初期の『日本感霊録』などにも記されている。明治の初めには、盲目の沢市と妻お里の夫婦愛を描いた『壺坂霊験記』が創作。歌舞伎や講談、浪曲の演目となって人気を博し、寺の名声を高めた。日本初の養護盲老人ホームを設立するなど、寺では戦後から社会福祉活動に寄与。全長20m、総重量1200tもの天竺渡来大観音をはじめとする巨大な石像は、インドにおけるハンセン病患者の救済事業を縁とした日印友愛の証である。