市尾墓山古墳と同じく、大型の横穴式石室を備えた前方後円墳として国の史跡に指定される。菅原道真公を祀る天満神社の境内にあり、石室を閉ざす柵に近付くと自動的に照明が点き、石棺の眠る玄室が見学できる。馬具や太刀の装飾品といった多数の副葬品が発見されており、斑鳩町の藤ノ木古墳を上回る豊富な遺物があったと見られる。
平成9(1997)年10月から3ヶ月に渡り、高取町教育委員会と奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を実施。出土した遺物を見ても、全長44mの前方後円墳が築造されたのは6世紀半ば頃と考えられ、古代の外交に従事していた豪族首長の墓と発表された。両袖式の横穴式石室は全長が11.6mあり、壁面と石棺の外側は赤い顔料で塗られ、ノミの痕跡も残る石棺の前では木棺に用いる鉄釘も検出。追葬の木棺が安置された可能性も高いと推測される。ほとんどが盗掘されていながら、発見された遺物の数と種類は実に多く、中でも金銅製の鈴は奈良県内で二例目の出土品として注目を浴びることに。金銅製の鈴や耳環の他にも、刀の柄に装飾されていた水晶の三輪玉や冠を飾っていた魚形の銀製品などが出土。これら国際色豊かな遺物の数々は、当時の古墳でもトップクラスの内容を誇り、有力豪族の墓であった説を裏付けている。整備も兼ねた発掘調査によって石室は修復、石棺も復元されている。